- 2006-01-26 (木) 3:26
- 02: 広告・デザイン
ほぼ日で、佐藤可士和×糸井重里の「デザイン論」が一時期掲載されていましたが、その続きをやりませんか、ということで開催された広告サミットの内容が、ほぼ日で公開され始めました。
読んでいると、共感したり、なるほど、と思ったり。
これを読むと、やっぱり糸井さんはコピーライターだけあって、言葉の扱い方がうまいな、と思います。同じように佐藤可士和さんも。優れたデザイナーは、言葉に対しても優れた感覚を持っている。
いくつか、気になった部分を。
「あたらしい人に会ってしゃべる」
ということは、ふつうの日常の中には、
意外とないことですよね。
すこしだけ、仕事の話をしただとか、
すれちがって話をしたぐらいのことなら
あるでしょうけど、
30分以上しゃべる関係が
あたらしくできることって、
そんなにたくさんはないと思うんです。
そんな話が最近会社の中でも出ていました。それを思うと学生時代とかってホントに新しい人と出会う機会に恵まれていたな、と思います。あたらしい人に出会う事自体が今は少なくて、さらにふみこんで話せることなんてもっとなくて。そうすると世界はどんどん閉じていくばかり。新しい人と仲良くなったり、ふみこんだりするのってとてもエネルギーがいるから、それを面倒だと思ってしまう自分がいる。
他人にたいして警戒心を抱く割合が多分、他の人より強いのかもしれない。ひどく鬱になったりする時があって、そういう時は親しい人たちとでさえ会話も出来ない。そんな私でも、時々、この人と仲良くなりたい、と思うこともあるし、色々な人と話してみたい、と思うことも、たまに、ある。
会ったことのない人たちから、
あたらしい情報をまとめていただけるし、
こちらも、なにかをプレゼントできるし、
そういう関係をくりかえしていることが
すばらしいなと思っているんです。放っておくと家から出ないし、
あたらしい人に会おうともしないし……
でも、なにか話すテーマがあったら
本来、しゃべるのが苦手なぼくでも、
よろこんで、しゃべりだすわけでして。
情報の交換と共有。これはすごく大きいんじゃないかな。わりと情報の収集能力はあるほうだと、自負しているんですが、誰かに情報をあげたりすると、それに対して返ってくる反応が楽しいし、(このblogもそうですね。コメントがあるとやっぱり嬉しい)反対にさらにそれに付随した情報が返ってくるピンポンのようなやりとりがあってこそ、近づいてゆける。blogは基本的に壁打ちなんですが、時々すっと打ち返してくれる人が壁の前に現れたりして、それはそれで楽しい。
あと、普通に喋っていると「テーマ」なんてそう出てこないじゃないですか。でも、きっかけとして、例えば「記録する、ということについてどう思う」なんて聞いてみるのもいい手だな、と思う。好きであれ、嫌いであれ、何かしらの反応が返ってくるはずだし、テーマがあると話しやすいし。
えーと…、二回についてはまた後日コメントしてみようと思います。
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