ケータイ小説「あたし彼女」を読んでみて、ケータイ小説のことを考える

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第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女

わりと

おもしろい

みたいな?

正直なところ、ケータイ小説?フフン、と思っていたのですが、twitterで「あたし彼女」「あたし彼女」という単語が頻発に出てきて、フォローしてる方たちの評価がわりと好評だったので、ふむ、じゃぁ読んでみようかなという気になりました。

ケータイ小説に関しては、私の周囲の友人たちには不評きわまりないし、あんなのは小説じゃない、という意見も多々聞こえてくるのですが、私はあまのじゃくなものなので、自分もそう思ってはいたものの、あまりにそういう意見が多くなってくると、かえって、ちょっと待った、ってなるんですよね。

ここで二つのケータイ小説に関する記事を紹介しておきます。

ソーシャルメディアとしてのケータイ小説:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 – CNET Japan

そう考えると、彼女のようなケータイ小説作家の仕事というのは、多くの若い女性たちの集合的無意識をすくい上げ、それを小説という表現メディアに文字として固定化させることだとわかってくる。

本来、文学というのは、ひとりの孤高の作家がみずからの内面と向き合い、みずから作り上げた世界観と哲学を世間に問うという行為だった。だがケータイ小説は、書き手の側も、読み手の側も、自分たちがひとつの「空間」を共有していると信じ、その「空間」に寄り添うかたちで小説をコラボレーションによって完成させていく。文学が卓越した個人による営為であるのに対し、ケータイ小説は人々の集合知をメディア化したものである。

そのようなとらえ方をすれば、ケータイ小説の文体が陳腐で下手くそで、同じようなステレオタイプ的なプロットに彩られているのも当然である。なぜなら陳腐でステレオタイプなものこそが、若い読者にとっては「リアル」であるからだ。

こどものもうそうblog | ケータイ小説の新しさと古くささ

コバルトに代表される少女小説も、小説ジュニア時代は、おやじくさい小説が多かった。書いているのも大人だったのだ。

「大人が少女に向けて書く→大人が修正する→少女に届く」という構図だったのだ。 それが、氷室冴子をきっかけにして、少女が作家になっていった。 そして、「少女が書く→大人が修正する→少女に届く」という構図に変わっていく。

ケータイ小説は、とうとう「少女が書く→少女に届く」という構図にまで変化した。 大人がじょじょに排除された世界なのだ。 だから、大人が純粋に恋愛小説として読んだとき『恋空』がおもしろくなくても、当然だ。

これらの記事を読むと、あれが小説だとか小説じゃないとかという定義はあんまり意味がないような気がするんですよね。

実際のところ、私が中学時代に出会ったコバルト文庫や、大ブームを起こした折原みとのホワイトハートX文庫だって、当時の大人たちには、あんなもの、って思われてたふしはあると思います。じゃぁ、それと、今のケータイ小説とは明らかに違うのは、文体?語彙力?ストーリー性?

確かに違う。

でも、素晴らしい小説にはそういう要素も必要ですが、何より「次が気になる」「続きが読みたい」という焦燥感にも似た感情にかられながらページをめくる、というのが一番大きいんじゃないかと思ってます、私はね。で、それだけを考えたら、この「あたし彼女」は面白かった。

数ページを読んで諦めた、あんな女ありえない、って書いていた人もいたけれど、いや、でも、これ小説でしょ?そういうありえないキャラクター設定をされた人物が主役の小説なんていくらでもあるし、こういう始まり方をする小説もあるにはあるよね。独白のようなスタイルで。

その点に関しては、変に偏見をもたずにとにかく読み進めてみると、ちゃんとストーリーも出来てるし、わりと面白いと感じました。それはない、とか思う点はありましたけど、実際他のケータイ小説じゃなくてもあるし、途中で本を放り出したくなるような小説と比較したら、これは最後までちゃんと読ませられるだけの力は確かにありました。

というわけで、下のエントリに感想は近いかな。
シロクマ日報 > 30過ぎたオッサンが、『あたし彼女』を読んでみた。 : ITmedia オルタナティブ・ブログ

さて、この「あたし彼女」を現代語訳したものが出てきてましたが、あらすじを現代語訳してあって、この小説の魅力が半減してると感じました。「あたし彼女」は「あたし彼女」の文体でこそ、でしょう。→「あたし彼女」現代語訳 – 藤棚の上

ちなみに、自分のブログを「あたし彼女」風にするサービスが早速出来てきますw
ねとらぼ:「あたしブログ」――あなたのブログをケータイ小説大賞作品っぽく変換 – ITmedia News

ところで、ケータイ小説を書籍化する動きが活発ですが、おそらくこの小説も書籍化されることでしょう。が、ケータイ小説は携帯の画面で見ることを前提としているので、書籍化となるといくつかの問題も出てくることかと思われます。そんなケータイ小説の校正をされた方によると、

ケータイ小説の校正 – 田中栞日記 – Yahoo!ブログ

それにしても、私も校正者生活26年、色々な本の校正をしてきたので、大抵のゲラには驚かないが、改行部分を1字下げにしない(すべて「天ツキ」のママ)組版、というのは初めてであった。

ほぼ毎行、改行になるので、字下げをすると全部の行が1字下げになってしまう。それで字下げをしない組み方にしたようだ。

驚くのは、このボリュームで定価1050円(税込)だということ。

購入する層が中学生、高校生といった若い人たちが多いので、安い設定になっているそうだが、それだけ、製作部数が多いということでもある。初版から数万部、ものによっては10万部という出版物もあるようで、そうでなければ1000円ちょっとの販売価格で丸背上製本は作れないだろう。

1000円ちょっともあれば、分厚い新書が買えてしまうとつい思ってしまうけれど、1000円という価格設定は意外と適正なのでしょうか?

で、この小説を書籍化するとどうなるや、というのを考えた結果がこれ→『あたし彼女』を書籍化してみた – 60坪書店日記 吹き出しました。(笑)

【関連サイト】
第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女

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