神戸の南京町は春節祭で大にぎわい

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三連休中に、神戸に行ってきました。この日もとても寒い一日だったんですけど、久しぶりに中華街に行きたくなって。

そうしたらなんと「春節祭」に当たってしまって、大混雑。春節祭というのは、中国の旧正月にするお祭りのこと。こちらは中華街ですが、いつも混んでますがさらに混んでいて、なんと一方通行になってました。びっくりです。

春節祭

買い食いをしながら、散策しようと思ったんですけどこの人混みじゃ…(汗) 一つ買うにも大行列です。あぁ、失敗…こんな日に来るんじゃなかったw

屋台

夜になっても人の波はおさまらず。

夜の春節祭

Diorの建物がちょっと面白かったので撮影。鋲をうってるような外壁なのです。

Dior

Diorというブランド自体には全く興味をそそられないが、誰が建てたのかは気になって写真を撮る女。

Dior

ところで、中華街、という言葉を聞くといつもぱっと思い浮かぶエッセイがあって、それは江国香織の「いくつもの週末」というエッセイ集に収録されているショートストーリー「放浪者だったころ」。

彼女と彼女の夫が、初めて出会った場所でありよく放浪していた横浜の中華街が出てくる。

お昼を食べたあと、近くの店で中華菓子を買ってから、私たちは元町を散歩した。あ、あの紅茶屋、とか、あ、あのスーパーマーケット、とか、あちこちで記憶と目の前の風景が重なる。

私は自分の左手をみる。私たちは普段結婚指輪というものをしていない。いつもつけているなんて冗談じゃないと言っている。でも、私は自分の指にはめたそれをありありと思いうかべることができる。金色の指輪。私はそれを、たとえば夕方スーパーマーケットにいくときにはこっそりつける。妻ぶるために。

私は鞄のなかから指輪を二つだし、一つを自分の指にはめて、もう一つを夫に渡した。
「えっ、呪縛するの!?」
夫はおおげさに驚いた声をだす。彼は結婚指輪を「呪縛」と呼んでいる。
「そう、ちょっと夫婦ぶってみるの」
わかった。夫はおとなしくうなずいて、その小さな輪に自分の薬指をおしこむ。

この自由さに憧れてしまう、いや、憧れてしまう、というのは言い過ぎかな。こういうのはいいな、と思う、ということ。自然で。

ちょっと話はずれるけれど、10代や20代の前半から中盤にかけて私はわりと肩の力を抜くことが出来なくて、それは自分で意図してやっていたわけじゃないんだけれど、 今の自分からするとやっぱり少し痛々しい。変な意味じゃなくて、「ね、もうちょっとリラックスしなよ。」って言いたくなってしまうような。柔軟性にかけてて、頑な。

今でもやっぱり頑なではあるけど、随分と楽になった気もしている。それはきっと多分、何事も、よくよく考えてみれば、そんなのって別にそんなに大騒ぎするほど大したことじゃないってことが実は多いってことに気づいたからなのかもしれない。すごく気に入っていたものでも、形あるものは壊れるものだし、仕方ないな、と諦めることが出来るようになった。昔はつまらない、と思ってたことも、やってみたら意外と楽しめたりするし、ありふれた普通のこと、伝統的なことも、とらえ方が以前と少し違ってきてる。

これを「変わってしまったね」と否定的に捉える人もいるだろうし、このことが自分にとって正しい方向なのかまだよくわからないんだけど、ただ今はリラックスしてると思う。

指輪一つにしても、昔と今では目に入ってくる文章は同じなのに、とらえ方が変わるって不思議だなぁ。

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5 何度読み返しても・・・
4 目からうろこの結婚観。
5 いくつもの週末を過ごし

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