判別できないもの

スポンサーリンク

実生活でも知っている人で、このblogを知っている人はとても少ない。
たった二人だけだ。

そのことを忘れて、私の事がわからない、わかりにくい、という友人の事を責めるのは
とても卑怯なことだとわかってる。

彼と、彼らを同等に扱うわけにはいかない。

だから、自分が間違っているのなら、直すべきところは直さなくては、と思った。

だけど、これは一体どこに分類されるべき物事なんだろう。


何人かの親しい人たちに、聞いてみた。
その人たちには、私の言動と感情はちゃんとつながって見えているのか知りたくて。

ある人は、言いにくそうに「どちらかといえばわかりにくいタイプ」だと言ってくれた。
優しい彼にとっては、それがせいいっぱいの一言だったに違いなくて、
自分ではそうは思っていなかったので少し落ち込みつつも、
それでも真摯に答えをくれたことが嬉しかった。

別の友人は、つき合いが長いからある程度はわかる、と言う。

そして、あの人は…、私が踏み込まれないように気をつけているところに
するりといつの間にか入ってきて、
一番やわらかい土を勝手にふみしめて、さっと出てってしまった。
ずるいやり方だ、と私は思う。

友人の言うこともわからなくはないのだ。

私はもっと感情表現を豊かにするべきなのだろうし、
皮肉をまじえながら喋る癖も本当ならやめるべきなんだろう。
誰かを不安にし、傷つけているのなら。

こんな風にところかまわず刀をふりまわすような真似をしていても、仕方がないのに。

スポンサーリンク
NO IMAGE
この記事をお届けした
sorariumの最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!

シェアする