村上春樹「エルサレム賞」スピーチを春樹氏の小説風に私も翻訳してみた。(部分訳)

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【090219 全文が公開されたので、全文和訳をしました。→ 村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチをハルキ風に全文和訳してみた! – sorarium

ガザでの戦闘が激しいイスラエルにおいて、村上春樹氏が文学賞を受賞したというニュースは、はてな界隈でも大きな話題になっていて、「授賞式なんか行くな」とか「文学賞とそれは関係ない」とか色々議論が行われていました。

そして、昨日授賞式が行われ、村上春樹氏は出席しスピーチを行ったのですが、今日の夕方、ヤフーのトップニュースに大きくとりあげられています。→村上春樹さんの受賞スピーチ、日本のブロガー陣がスピード翻訳 「ハルキ風」も(ITmediaニュース) – Yahoo!ニュース

私は、最初、壁と卵 – 池田信夫 blogで、現地紙に出ていた春樹氏のスピーチ(英語)を見ました。

そして、そのスピーチが素早い勢いで何人かのブロガーが翻訳され、いくつか拝見したのですが、その中でも、Kittens flewby me  村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳してみたがとても秀逸で、ちょっと涙が出そうになるほど感激しました。

その後、twitterで@rob_art氏が春樹文体で訳してみたとポストされていたのに触発され、私も、村上氏の小説風に訳してみましたよ。

現地紙とAP通信とでは、伝えられている内容が違ったので両方のせています。

※かなり意訳している部分もあるかもしれないので、間違っていたらご指摘いただけると幸いです。英語の得意な知り合いにも一応チェックしてもらいました。では、どうぞ。

村上春樹氏、イスラエルの最高文学賞「エルサレム賞」受賞スピーチ(翻訳)

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is – a spinner of lies.

僕は、今、エルサレムにやってきました。小説家として、つまり、嘘の紡ぎ手として、です。

Novelists aren’t the only ones who tell lies – politicians do (sorry, Mr. President) – and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren’t prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

小説家も嘘をつくけれど、政治家や(大統領、すみません)外交官がつく嘘とは違います。僕たちは、その嘘によって訴えられたりはせず、代わりに賞賛を受けます。大きな嘘をつけばつくほど、より大きな賞賛が得られるのです。

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It’s hard
to grasp the truth in its entirety – so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

小説家と政治家の人たちとの嘘の違いは、小説家の嘘は、真実を引きだそうとするものだということです。真実を掴みとるのはとても困難なことです。だから、小説家は、フィクションの世界へ真実を置き換えるのです。けれども、最初に、僕たちは自分自身の中にある真実を明らかにしなくてはいけません。

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

今日、僕は真実を話そうと思います。僕が、嘘をつかない、と誓う日なんて一年にほんの数回だけれど、今日がきっとその日なのだろうと思うから。

※ここから、イスラエル紙の報道

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

今回の賞を打診された時、僕はガザでの戦闘のため、ここ(イスラエル)に来ないように警告されました。*1 僕は、自分自身に尋ねてみました。イスラエルを訪れることは適切なことだろうか。僕は、どちらか片側につくことになるのだろうか?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I’m told. It’s in my nature as a novelist. Novelists can’t trust anything they haven’t seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

僕は、しばらく考えた後で、ここに来ることを決めました。多くの小説家のように、僕も、言われたことの全く反対の事をするのが好きなんです。小説家である僕にとって、それが自然なことだからです。小説家は、自分の目で見ていないものや、手で触れていないものは、信じることが出来ません。だから、僕は見ることを選びました。僕は、何も言わないでいるより、ここに来て皆さんに話すことを選んだのです。

そして、これが、この場所に僕が話しに来たことです。

If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

もし、高く硬い壁と、そこにぶつかったら砕けてしまう卵があったとしたら、例えどんなにその壁が正しく、どんなに卵が間違っていたとしても、僕はきっと卵の側につきます。

(ここまで)

※同じ部分をAP通信が報道したもの

After receiving notice of this award I asked myself whether travelling to Israel at a time like this and accepting a literary prize is a proper thing to do and whether this creates the impression I supported one side in the conflict and that I endorse the policies of a nation that chose to unleash it’s overwhelming military power.

今回の受賞の知らせを受け取った後、僕は、こんな時期にイスラエルに行って文学賞を受賞するのが適当なことなのかどうか、そのことが僕が紛争の片側についたとか、圧倒的な軍事力を解き放つことを選択した一国の政策を支持した、という印象を与えないか、ということについて、自分自身に問いかけてみました。

Neither of course do I see my books subjected to a boycott. Finally however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision is that all too many people advised me not to do it, like many other novelists I tend to do the exact opposite of what I am told, yeah…

もちろん、そのせいで僕の小説がボイコットされることはないでしょうが。けれども、最終的に、僕は注意深くこの件について考えた後、ここに来ることを決めました。そう決めた理由の一つが、本当にたくさんの人が僕にそうしないようにアドバイスしたからで、他の多くの小説家と同じように、僕はどちらかというと、他人に言われたこととは全く反対のことをやる方なのです。

I choose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing. So please do allow me to deliver a message, one very personal message.

僕は、近寄らないことよりもここに来ることを選びました。そして、何も見ないようにすることよりも、自分自身の目で見ることを選びました。何も言わないでいるより、ここに来て皆さんに話すことを選んだのです。ですから、メッセージを ―とても個人的なメッセージを― を伝えることをどうか許してください。

It is something I keep in my mind, always keep in my mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall, rather it is carved into the wall of my mind. It goes something like this – between high solid wall and an egg (that) breaks against it I will always stand on the side of the egg. No matter how right the wall may be, how wrong the egg I will be standing with the egg.

僕が小説を書くうえで、いつも気を付けていることがあります。わざわざ紙に書いて、壁に貼ったりはしないけれど、その事は僕の心の壁のなかに刻み込まれています。それはつまりこういうことです。高く硬い壁とその壁にぶつかって砕ける卵との間で、どちらの側につくかと問われれば、僕はいつだって卵の側につきます。どんなに壁が正しい場合でも、どんなに卵が間違っていたとしても、僕は卵を支持するでしょう。

(AP通信ここまで)

※ここから再びイスラエル紙

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

なぜなら、僕たち一人一人が、唯一の魂をもったもろく壊れやすい卵だから。僕たち一人一人が高い壁に立ち向かっているんです。そして、この壁とは、僕たちが、人として普通はやりたくないと思うような事を強いる「システム」のことです。

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So – I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

僕が小説を書いているただ一つの目的は、人それぞれの個々たる神性を書くためであり、個を満足させるためです。システムに僕たち同士が争うようにさせないために、僕は、人を笑わせたり、泣かせたりする、人生と愛の話を書いています。

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it’s too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us – create who we are. It is we who created the system.

人は、ただ一つしかない、もろくて壊れやすい卵です。僕たちは、壁に対して戦う希望を持てません。なぜなら、壁はあまりにも高く、暗く、冷酷だからです。その壁と戦うために、僕たちは、自分たちの魂を、暖さと強さでもってつなぎあわせなければいけません。僕たち自身を、システムが望むような人間に作り上げさせてはなりません。そのシステムを造り出したのは、僕たち自身に他ならないからです。

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

僕の本を読んでくれているイスラエルの人たちに感謝します。僕たちが大切な何かを分かち合えることを望んでいます。それが、僕が今ここにいる一番大きな理由だからです。

*1  ガザでの戦闘の責任があるイスラエルからの賞などは辞退しろという警告を受けた、という暗喩

部分訳ですので、全文(英語)をご覧になりたい方はこちらをどうぞ→Always on the side of the egg – Haaretz – Israel News

090219追記
自分でも全文和訳してみました!→村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチをハルキ風に全文和訳してみた! – sorarium

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『村上春樹「エルサレム賞」スピーチを春樹氏の小説風に私も翻訳してみた。(部分訳)』へのコメント

  1. 名前:val 投稿日:2009/02/17(火) 23:14:36 ID:b2cd14d86

    そらさん、ブラボー。
    そして(もちろん)春樹さん、ブラボー。

    ひとりの人ができることは限られている。
    もしくは、ひとりの人ができることなんて皆無にひとしい。

    我々はついそう思って臆病さと事なかれ主義と恥ずかしさで
    自分ができることすら、手をつけずにひっこんでまったりするけれど。

    春樹さんにも、
    そらさんにも、
    その「自分ができることを静かに確かに行ってみた」
    という姿勢を私は評価するし尊敬します。

    よい言葉を、ありがとう。

  2. 名前:そら 投稿日:2009/02/18(水) 02:27:58 ID:fd103b76f

    valさん。

    グラッチェ!

    実を言うと、私自身はそこまで考えてやったわけではないので
    なんだか恐縮してしまうのですが(^^;
    他の方が春樹氏風に書いているのを見て
    いてもたってもおられず、勢いで訳してしまいました。
    間違いとか色々あると思うのですが、
    自分の中で、春樹氏の小説の主人公ならこういう感じで言うかもしれない、と想像して。

    それが、誰かの目にとまって、
    春樹氏の言葉がほんの少しでも伝われば
    それはもちろん嬉しいことなのです。

    こちらこそ、ありがとう。